限界集落の定義をご存知ですか?
居住の本拠としての家屋が集合している集落の人口の半分以上が65歳以上の場合限界集落とみなされます。
つまり人口が少ないというだけでは限界集落とは言えないんですね。ちゃんと調べて良かった〜^^;
この記事は2022年9月に書いていますが、総務省は3年前の2019年4月の時点で既に2万を超える場所が限界集落であると発表しました。
そして限界集落がそのまま人口が増えず住人がゼロになってしまうと消滅集落へと名称が変わってしまいます。
この記事はわたしの実家で今起こっていることを踏まえ、日本という国をテクノロジーやWeb3を使って合理的に縮小しようという内容です。
過疎や限界集落に縁もゆかりもない方には関係ないでしょうし、理解できないと思いますので興味も湧かないのであればここで画面を閉じてください。
九州の山奥にある限界集落のインフラと暮らし
わたしは生まれてから高校を卒業するまで宮崎県の山奥に住んでおり、そこはいわゆる過疎地であり限界集落と呼ばれる場所です。
電気は問題なく送電されており固定電話もありますが、ガス管は通っておらずプロパンガスボンベを定期的に運んでもらっています。
しかし上下水道の設備はなく山から湧いてくる水をホースで家の裏まで送り貯水して生活用水として利用しております。
このようなインフラの状況は、わたしが生まれた55年前から今も変わっておらず都会とは大きくかけ離れたまま続いています。
進化したと言えるのは今や欠かせないツールであるスマホ携帯電話の通信電波が自宅近くのアンテナから届いていることです。
実家には母がひとりで住んでおりますが、わたしの妹が帰省した時にLINEのビデオ通話をしたところ母は大変感激してました。
そんな山奥で日当たりも悪く不便なところで両親は米を作り、畑で野菜などを栽培し食料は自給自足のような生活でした。
必要な現金を得るために牛を飼い繁殖させ出荷したり、山で椎茸を栽培し農協に出荷するということで収入を得ていました。
毎年かならず来る台風から受ける自然災害
今年2022年9月18日頃に通過した台風14号は、九州地方を中心に大きな災害をもたらしました。
わたしの実家の家屋はかろうじて無事でしたが、実家に行くまでの道路が至るところで崖崩れや崩落しており車で通行することができなくなりました。
崖崩れのほんの一部の画像です↓
過去にも台風による被害がテレビで報じられたため実家に電話するも不通で、一人暮らしの母と連絡が取れず緊急で実家に帰省したのを覚えています。
あの時は車で帰省したのですが、途中で崖崩れがあり通れず電柱も倒れて電力会社が復旧作業を必死で行っている最中でした。
仕方なく道端に車を置いて食料品などを背負い4時間ほど歩いて帰ったのですが、他にも崩落箇所があり人が通るのがやっとの状況。
あの時は母もなんとか無事ではありましたが、近所の家の屋根や壁が強風で飛ばされたりしており補修など手伝ったりしました。
こうして台風が毎年のように被害をもたらしていくのが当たり前の地域であることに憤り感じますが、自然相手ではどうすることも出来ません。
母は次に来る台風で命を落とすのではないかという、不安となかば諦めめのような表情を浮かべていたのを思い出します。
限界集落にも住んで良い場所とそうでない場所がある
わたしは日本の限界集落をすべて見た訳ではありませんが、ひと言で限界集落と言っても色んなレベルや程度があると考えています。
車で少し走れば駅もあってコンビニ・スーパーや病院・薬局などがある場所でアマゾンなどの宅配も滞ることなく届くならば住んでも問題ないでしょう。
加えて台風や地震による災害も少なく豪雪で困ることもない地域は逆に移住する人にとっては人気の場所であるように思います。
そう考えるとあんな山奥の辺鄙(へんぴ)な場所にある実家は住むべきではないなぁという結論にしかたどりつきません。
これからは台風でなくとも異常気象による災害も多く大きくなる可能性もあり、命を危険にさらしてまで住むべきではないでしょう。
限界集落を消滅集落にすると起こるであろう様々な問題点
災害だらけで人間が住むべきはない限界集落は意図的に住民を移住させて閉鎖し、あえて消滅集落にしていく方が良いとわたしは考えます。
わたしの母は現在83歳で日常生活にさほど支障はないものの、車の運転や重い荷物を持って運ぶということはなかなか出来ません。
買い出しや定期的な通院などには誰かの車に乗せてもらっている状況ですが、他人の力を借りることを母は気の毒に思っておりすぐにでも施設に入所したいと言っています。
つまりわたしの母は、いくら生まれ育った故郷での思い出や思い入れがあっても他人に迷惑をかけてまで住みたくないと思っているのです。
しかし母が移住をして誰も居なくなっても自宅家屋はもとより田畑や山林そして先祖の墓地は誰かが管理しないといけません。
毎年台風被害を受けても不動産がそこにあるというだけの理由で道路など元通りに補修しなければならず、財政が圧迫されます。
国や自治体をあてにしてはいけない時代に突入している
あと3年後の2025年には人口の4人に1人が後期高齢者(75歳以上)という超高齢化社会の時代に突入し労働人口は減って、社会保障は維持できなくなると言われています。
そんな時代が目の前にせまっている中では、国も地方自治体も限界集落など面倒見きれなくなるのは目に見えています。
政治家は少子化に歯止めをかけると10年以上前から言ってはいますが、対策はなされておらず国の存続すら危うい状況です。
何より政界自体が超高齢化社会で日本の縮図となっていますから。
Web3ブロックチェーンやメタバースで出来ること
ではこの限界集落を閉鎖して日本を合理的に縮小する時に起こる問題をテクノロジーで解決できないか考えてみました。
消滅集落となって誰も住まなくなれば家屋も田畑も山に還っていくでしょうから、持ち主不在になる前に国や自治体に売却します。
墓地に関しては土中の遺骨はそのままで、家屋田畑山林を売却したお金で仮想空間メタバース内に墓地墓石を立てお参りします。
ものすごくドライというか冷たい表現になってることは自覚していますが、現実的に考えて他に解決できる術が思いつきません。
実家の思い出の場所を残したいと言うのならばメタバースに四季折々の様子ををデータとして残し、自分が行きたい時に入っていけば良いと思います。
わたしは自分が死んだ時には墓は用意しなくて良いし、遺骨は必要なら少し残して海にまいてくれれば良いと思っています。
故人のわたしを偲びたいのであれば、わたしの残したSNS発信を見たり聞いたりすればそれで良いと思い記録を残しているのです。
お参りに行っても何も見えない声も聞こえない墓石を拝むよりは、生前の元気な様子をうかがい知ることができてより価値的でしょう。
わたしが元々都会に生まれ育ってこのような記事を書けば批判もされそうですが、これは今わたし自身に起こっていることであり率直な意見です。
今時代はひとつの大きな転換期を迎えており、新しいテクノロジーもそうですが人間の意識や思考もアップデートする必要があるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき有難うございました( ´∀`)
つがお